イップス克服実績 木村 陽彦 選手

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高校時代、北海道日本ハムのテストを受けるほどの実力を持ちながらもイップスにより挫折。様々な方法を試した末にイップス研究所に辿り着きイップスを克服。北信越BCリーグでプロ選手に上り詰めた木村選手のイップス克服体験記です。

プロフィール

選手名 木村 陽彦
出身地 北海道
生年月日 昭和57年10月5日
身長・体重 177cm、75kg
略歴 【小学】ひばりヶ丘小学校
【中学】もみじ台中学校
【高校】北海高校
【大学】北海学園大学

木村選手のコメント

私は3歳の頃に兄の影響もあり野球を始めました。当然最初は遊びの延長でしかなかったと思います。しかし、小学校2年生ぐらいからピッチャーをやるようになり、野球をスポーツとして楽しむようになりました。 中学生になり、学校の部活ではなく、横浜瀬谷ボーイズというクラブチームで野球をすることにしました。 それは高校で野球をする時の為に、早くから硬式ボールに慣れておきたかったからです。
 
もちろん、ただ高校で野球をしたいというだけではありませんでした。 高校で野球をやるなら甲子園に行きたい。そのために一番良い環境を求めたのです。 中学でもピッチャーを続け、神奈川の桐光学園から声を掛けてもらい入学しました。
 
高校に入学してすぐの春季大会の決勝、東海大相模戦で先発を任され、この試合が私にとって公式戦初出場でした。 試合前に監督から「インコース攻められるか?」と聞かれた私は、なんの迷いも無く「はい」と答えたのです。今思えば、1ヶ月前まで中学生だった私がいきなり決勝で先発して、緊張しないわけがありません。 試合自体は負けてしまいましたが、夢中で投げていた私はこの試合で、高校でも通用することを確信しました。 夏の大会でも2試合登板し、3年生が引退した新チームで背番号1をもらいました。
 
この頃にはエースとしての自覚を持ち始め、「甲子園に行きたい」ではなく「絶対に甲子園に行く」という意識に変わり始めました。 そのために自分には何が足りないのか、何をすれば良いのかを考えました。 技術どうこうよりも、やはり体を作ることがまず一番だと思い、冬の間はとにかく足腰、腹筋を鍛えました。おかげで体重も増え、球速も135キロから142キロまで上がり、制球も安定するようになりました。 この頃の私は、ピッチャーとして誰にも負けない自信がありました。
 
しかし、2年生になってからの春、夏ともに準々決勝で横浜高校に破れてしまいました。 この時の横浜高校のエースは現・西武の涌井投手です。
 
涌井投手と投げ合い、私は衝撃を受けました。高校生でここまでのピッチングが出来るのかと。しかしこの事が私にとって非常に大きかったのです。 確信はありませんでしたが「自分もやればできる」そう思いました。
 
そして3年生になり、甲子園出場と共にプロになりたいという気持ちが強くなりました。 しかし、冬が終わり春になったとき、腰痛に悩まされるようになり、私の野球人生が大きく変わっていきました。 今まで野球をやってきて、大会で1試合も登板しないということはありませんでした。 でも、3年の春季大会は腰痛の影響で登板することが出来ませんでした。
 
春季大会が終わり、腰痛も良くなり練習試合でも投げられるまでに回復しましたが、夏の大会前に腰痛が再発してしまいました。それでも何とか投げることは出来ましたが、本来の自分のピッチングとはほど遠いものでした。 正直、甲子園出場も諦めかけていましたが、チームメイトの頑張りで甲子園に出場することが出来ました。しかし、甲子園に出場できたことは良かったのですが、心の中では素直に喜べませんでした。それは、自分の体がベストの状態ではないことと、背番号が10番になってしまったからです。 スポーツは背番号でするものではないといいますが、小学校の頃から1番をつけてきた私にとってはとても重要だったのです。 甲子園では3試合に投げましたが、調子が戻ることはありませんでした。 そして、高校野球も終わり進路について考えたとき、もう1つの目標であったプロになる事も、高校から行くことは諦めました。そんなときに青山学院大学からの話しがあり、大学で4年間レベルアップして、もう一度プロを目指すことを決めました。
 
怪我も治り、大学に入りすぐベンチに入れてもらうことが出来ました。しかし、ここから私のイップスが始まりました。 試合中にブルペンでピッチングをしていたとき、暴投をしてしまい、そのことがきっかけでイップスになってしまいました。 ストライクを投げなきゃいけないと考えれば考えるほど、どんどんコントロールが悪くなり、自分の投げ方もわからなくなっていきました。
 
それでも目標があった私は、投げることを辞めませんでした。とにかくコントロールを良くするために色々なことを試しました。しかし結果は出ず、このまま野球を辞めようかと悩んだ時期もありました。 このことを親や先輩に相談したとき、本当に親身になって話しを聞いてくれたのです。 「自分が今こうして野球が出来ているのは、決して自分ひとりの力じゃない。周りで支えてくれている人がいるからこそなんだ。」ということを実感させられました。
 
そして私はイップス研究所(横浜催眠心理研究所)の存在を知り、訪ねることにしました。 河野先生にシャドウを見てもらったとき、一発で「そりゃイップスになるよ」と言われました。「何でだと思う?」と聞かれても、私には全く解かるわけがありませんでした。 話しを聞いていると、目の使い方を指摘されました。
 
投手として高校に入ってから2年前までイップスに悩まされました。 日本ハムにもテストを受けましたが144kmを出しながらも不合格でした。
 
治したいと思えば思うほど球速は落ちてゆき、128kmまでになってしまい、 テイクバックの時に手のしびれを感じ、力が入らなくなってしまいボールを落としてしまうまでになってしまいました。 プロの人やトレーナー等にいろんな方法を聞いて試しましたがやはり治らず、 最後に河野先生にお世話になってもだめだったら野球を辞めるつもりで横浜に訪ねていきました。
 
すると河野さんはいとも簡単に「イップスは治すものじゃないよ、乗り越えるものだよ」 そして「イップス症状を受け入れなさい」と言われました。この言葉がやっと今、過去を振り返り、 わかった気がします。
 
東京で新聞配達をしながら週に一度、訪ねて行き、心のしくみ、 脳細胞のしくみ等わかりやすく説明を受け、今までとは違った河野式独自のメンタルトレーニング、 身体的トレーニング方法にて146kmまで出せるようになりました。そして、北信越BCリーグに合格することができました。
 
そして、「言葉には意味があるんだよ」、その言葉や思いが60兆個の細胞を動かしているんだよと言われた言葉、 そして人は自然に生きて、自然にスポーツを楽しんでいるのに、自分で不自然にしたり、 他人に言われて不自然にするからいろんな症状になってしまうんだよと言われたことを今も忘れません。